ポール・グレアム

Y Combinator 共同創業者

愛することを仕事にする方法 Part. 3

規律

これほど多くの誘惑があるのだから、やりたい仕事を見つけるというのが難しいのも不思議ではない。ほとんどの人は子供の頃から「仕事=苦痛」という公理を受け入れてしまっている。その公理を信じずに済んだ人ですら、ほとんどは、名声やお金などの誘惑に目を曇らされてしまっている。そんな中で、実際に自分の愛する仕事を見つけられる人は一体体どのくらいいるだろうか。数十億人のうち、たったの2、30万人程度だろう。

愛する仕事を見つけるのは難しいことだ。見つけることのできた人がこれほど少ないのだから、きっと難しいに違いない。なので、この作業を軽く見てはいけないし、まだ見つけられていないからといって、気を落とさないでほしい。実際、現状に不満であることを認めているのであれば、そのことを認められずにいる多くの人たちよりも、見つけるまでの道のりが短いということなのだから。あなたが軽蔑するような仕事を、楽しいと言っている同僚に囲まれているのであれば、彼らは多分、嘘をついているだろう。嘘をついていない可能性もあるが、嘘をついている可能性が高い。

無理にではなく、自分から好んで仕事をすることによって、素晴らしい仕事をすることができる。なので、素晴らしい仕事をする上では規律はあまり必要でない。しかし、愛する仕事を探すことには、規律が必要だ。12歳の時にはすでに自分のしたいことがわかっていて、レールが敷いてあるかのようにそれに沿って進んでいくだけ、という幸運な人もいるが、そのようなケースは例外だ。素晴らしい仕事をする人々は大抵、ピンポン球が描く軌跡のようなキャリアの持ち主だ。学校でAを勉強し、中退してBの職につき、趣味でCを始めてみたらそれで大いに有名になった、といった具合だ。

転職は時として行動力の証であり、時として怠惰の証である。あなたは落伍しようとしているのだろうか、それとも新たな道を果敢に切り開こうとしているのか?自分ではわからないということも多い。後に素晴らしい仕事をする人たちの多くは、自分にぴったりの仕事を探しながらも、最初の頃は期待はずれな仕事もいくつか経験しているようだ。

何か、自分を正直に保つために使える方法はないだろうか。1つは、いまやっていることがなんであれ、良い仕事をするように努めることだ。たとえその仕事が好きではなくても。そうすれば少なくとも、仕事に対する不満を怠惰の言い訳に使うこともなくなるだろう。それに何より、物事をより良く行う習慣がつくことだろう。

もう1つは、常に何かを産み出すということだ。例えば、小説家になるつもりでいて、今はとりあえず食べてゆくための仕事をこなしているとする。さて、何か産み出しているかい?たとえヘたくそでも、何ページづつか、小説を書いているかい?何かを産み出しさえすれば、いつか書こうと思っている偉大な小説の幻影にただ酔いしれているばかりではなくなるだろう。自分が実際に書いている明らかに駄作だと分かる代物によって、その展望は打ち砕かれることになるのだ。

「常に何かを生み出す」というのは、愛する仕事を探すための経験則でもある。そう心に決めると、一般にやるべきだとされていると自分で思い込んでいる物事から自然に離れて、本当に愛することの方に引き寄せられてゆくのだ。「常に何かを産み出す」ことが、雨水が重力を頼りに屋根にあいた穴を見い出す如く、ライフワークを見つけてくれることだろう。

もちろん、自分のやりたい仕事を見つけたからといって、実際にその仕事に就けるとは限らない。それは別の話だ。あなたが壮大な目標を持っているなら、この二つは分けて考えるべきだ。「自分が何をやりたいのか」という観念を「自分にできそうなこと」に汚染されないためには、意識的な努力が必要だ。[6]

この二つを分けておくのは痛みを伴う。なぜならこの二つの間にギャップがあることを認めるのはつらいことだからだ。だから多くの人は予防線を張るべく自分の期待値をあらかじめ引き下げておく。例えば、誰でもいいから街を行く人々に「ダ・ビンチのような絵が描けるようになりたいか」と尋ねたら、ほとんどの人は、「そんなの私には無理ですよ」とかそれに類する答えを返してくるだろう。これは事実というよりはむしろ、本人の意思表明である。私はやってみようとは思わない、という意味だ。というのも、実際には、もし街を歩いている人の中から無作為に1人選んで連れてきて、何とかしてその後20年間絵を一生懸命描いてもらえたなら、その人は驚くほど上達するだろうからだ。しかしそれには大いなる精神的な努力が必要とされるだろう。何年もの間、毎日毎日自分の失敗に目を向けることを意味するからだ。だからこそ、ひとは自分を守るために、自分には無理だと言うのだ。

この二つを分けておくのは痛みを伴う。なぜならこの二つの間にギャップがあることを認めるのはつらいことだからだ。だから多くの人は予防線を張るべく自分の期待値をあらかじめ引き下げておく。例えば、誰でもいいから街を行く人々に「ダ・ビンチのような絵が描けるようになりたいか」と尋ねたら、ほとんどの人は、「そんなの私には無理ですよ」とかそれに類する答えを返してくるだろう。これは事実というよりはむしろ、本人の意思表明である。私はやってみようとは思わない、という意味だ。というのも、実際には、もし街を歩いている人の中から無作為に1人選んで連れてきて、何とかしてその後20年間絵を一生懸命描いてもらえたなら、その人は驚くほど上達するだろうからだ。しかしそれには大いなる精神的な努力が必要とされるだろう。何年もの間、毎日毎日自分の失敗に目を向けることを意味するからだ。だからこそ、ひとは自分を守るために、自分には無理だと言うのだ。

この二つを分けておくのは痛みを伴う。なぜならこの二つの間にギャップがあることを認めるのはつらいことだからだ。だから多くの人は予防線を張るべく自分の期待値をあらかじめ引き下げておく。例えば、誰でもいいから街を行く人々に「ダ・ビンチのような絵が描けるようになりたいか」と尋ねたら、ほとんどの人は、「そんなの私には無理ですよ」とかそれに類する答えを返してくるだろう。これは事実というよりはむしろ、本人の意思表明である。私はやってみようとは思わない、という意味だ。というのも、実際には、もし街を歩いている人の中から無作為に1人選んで連れてきて、何とかしてその後20年間絵を一生懸命描いてもらえたなら、その人は驚くほど上達するだろうからだ。しかしそれには大いなる精神的な努力が必要とされるだろう。何年もの間、毎日毎日自分の失敗に目を向けることを意味するからだ。だからこそ、ひとは自分を守るために、自分には無理だと言うのだ。

だから、「誰かがしなければならない」ような仕事がこの世にあるうちは、あらゆる仕事について「この仕事は間違っている」と誰かが言う可能性があるだろう。不快な仕事のほとんどは自動化されるか、進んでやる者が誰もいなければ誰もやらないままになるかのいずれかだろう。

二つのルート

一方、「みんながみんな自分の愛する仕事ができるわけじゃない」という言い分には、別の含みがある。そしてそれもまた、全くもっともな事なのだ。人は食べていかなければならない。そして、愛する仕事でお金をもらうのは難しい。これらを達成する道は2つある。

自然推移的(オーガニック)ルート:地位が上がるにつれ、好きではない仕事を減らしながら好きな仕事の割合を徐々に増やしていく。

二足のわらじルート:好きなことをするのに必要なお金を稼ぐために、好きではないことをする。

自然推移的ルートの方がより一般的だ。良い仕事をする人たちは自ずとこの道を辿っていく。建築家は若いうちは、自分が取れる仕事なら何だって取らなければならない。でも、そうした仕事うまくこなしていくうちに少しずつ、プロジェクトを取捨選択できる地位に昇っていく。このルートの不利な点は、進みが遅く、かつ不確実であることだ。偉くなって終身在職権を手に入れたとしても、本物の自由を享受できるとはいえない。

二足のわらじルートには、いわゆる「昼間の仕事」すなわち毎日決まった時間に働いてお金を稼ぎ、余った時間で好きな事をやるという方法から、もう二度とお金のために働かなくてもよくなるまで何かの仕事をひたすらする方法に至るまで、お金のために一度に働く期間の長さに応じた幅広い変種がある。

二足のわらじルートは自然推移的ルートほど一般的ではない。それは、慎重な選択が求められるからだ。それに、伴う危険も大きい。ひとは年を取れば取るほどお金がかかるようになる傾向があるので、お金のための仕事では予定よりも長く働くことになりがちだ。さらにまた悪いことに、どんな仕事であれ、あなたがする仕事はあなたを変えてゆく。退屈な仕事をしすぎれば脳が錆びついてくる。いちばん稼げる仕事がいちばん危険だ。というのも、そんな仕事には全精力を注がなければならないからだ。

二足のわらじルートの有利なところは、障害を飛び越えさせてくれる点だ。あらゆる仕事が大地に平坦に広がっているわけではない。異業種間を仕切る壁の高さもまちまちだ。 [7] 自分の仕事のうち好きな仕事が占める割合を最大化していく過程で、建築から商品デザインに移ることはあるかもしれないが、音楽業界に行くことはおそらくないだろう。何かひとつの仕事でお金をつくってから別の事をする、というのであればもう少し選択の自由がある。

どちらのルートを選んだらよいだろうか。それは、あなたがやりたいことにどのくらい自信をもっているか、注文を取るのがどのくらい上手か、どれだけのリスクに耐えられるか、あなたがやりたいことに誰かが(あなたが死ぬまで)お金を払ってくれる勝算があるか、といったことにかかっている。もし 働きたい分野全般に自信があり、かつ人がお金を払ってくれそうなことであれば、多分自然推移的ルートを選んだほうがいい。しかし、もし自分が何をやりたいのか分かっていなかったり、あるいは注文をとるのが好きではないなら、二足のわらじルートを選ぶのもいいかもしれない。そのリスクに耐えられるのならば。

あまり性急に決めてしまわないように。早いうちからやりたいことがわかっている子たちは格好良く見える。まるで他の子たちより先に算数の問題が解けた子のようだ。彼らの手元には確かに答えがある。でもそれは間違いである公算が大だ。

医者としてとてもうまく行っている友人がいるのだが、彼女は自分の職にいつも不平不満をこぼしている。医学部を受けようとしている人たちに助言を求められる度に、彼らを揺さぶって「やめておきなさい!」と怒鳴りつけたくなる。(決してそうすることはないのだが)どのように彼女はこんな苦境に陥っていったのだろうか。高校時代には既に、彼女は医者になりたいと思っていた。前途に立ちふさがるあらゆる障害を乗り越えるだけの野心も決意も備わっていた。不幸なことに「医者という仕事が好きではない」ことも障害のひとつに含まれていた。

いまの彼女の人生は、女子高生が選んだ人生だ。

あなたが若い頃には、各々の選択に必要な情報はすべて、それが必要になる前に手に入るような印象を持っていただろう。だが、仕事については決してそうはいかない。何の仕事をするか決める時には、信じられないほど不完全な情報を頼りに決断しなければならない。大学の中でさえ、様々な職種がそれぞれどんなものなのか、ほとんど情報が得られない。運が良ければ2、3社のインターンシップに参加できるかもしれないが、全ての職でインターンシップが用意されているわけではないし、提供されていたとしても、学べるのは高々バットボーイになることで野球のやり方を学べる程度のことだ。

人生設計においては、その他の多くの物事の設計と同様、柔軟な媒体を使えばより良い結果が得られる。だから、自分が何をしたいのかに確信をもっているのでなければ、一番のお薦めは、自然推移にも二足のわらじにも転べるような種類の仕事を選ぶことだろう。私がコンピュータ・サイエンスを選んだ理由の一部もおそらくそんなことだ。教授にもなれるし、お金もたくさん稼げるし、ほかの数多の仕事に姿を変えることもできる。

初めのうちは、幅広く色々なことを経験させてくれる仕事を探すのも賢い選択だ。そうすれば色々な仕事が実際どんな感じなのかをより短時間で学ぶことができる。逆に、二足のわらじルートでも極端なものは危険だ。自分が好きなことについて学べることがあまりにも少ないからだ。お金が十分たまったら仕事をやめて小説を書こう、と思いながら十年間証券投資家の仕事に精を出していたとしよう。いざ仕事をやめた後で、小説を書くのなんて実は好きでも何でもなかったことに気づいてしまったとしたらどうする?

ほとんどの人はこう言うだろう。「任せろ、百万ドルくれたら、やりたいことを見つけてみせる」と。でもそれは見かけより難しいものだ。さまざまな制約は、人生に輪郭を与えてくれる。そうした制約を外してしまうと、ほとんどの人は自分が何をしたらいいか全くわからなくなってしまう。宝くじを当てた人や、遺産を手に入れた人がどうなるか見てほしい。誰もが、自分が欲しいのは経済的な保障だと思っているけれど、いちばん幸せなのは経済的な保障を手に入れた人たちではなく、自分がやっている仕事が好きな人たちだ。だから、経済的自由を約束するばかりで、それで一体何をしたらいいのか知る事もないようなプランは、見た目ほどいいものではないかもしれない。

どちらのルートを選ぶにせよ、それなりの苦労が伴うことは覚悟しておこう。愛する仕事を見つけるのは本当に難しい。ほとんど誰もが失敗している。仮に見つけられたとしても、30、40代そこらで愛することを自由にやれるようになるなんてことは滅多にない。でも、今この目的地が視野に入っているなら、達成できる見込みは高い。仕事を好きになっていいと分かれば、もうゴールは目の前だ。そして、どの仕事を愛しているか分かっているなら、もうあなたはゴールしたも同然だ。

訳注:

[6] この問題は、物事がこうあるべきだ、という観念を、物事がどうあってほしいかという願望に汚染されないように気をつけるべきだ、という原則と構造的に同じものだ。多くの人々がこれらをごっちゃにしてしまう。宗教の持続的な人気は、それを示すものとしては最も顕著な例だ。

[7] 例えとしては、仕事をグラフにすると各節点(職種)間の接続があまりよくない、といった方がより正確だろう。

原文 : http://www.paulgraham.com/love.html
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